カシワギ、二十四歳になる

本日、カシワギは二十四歳になりました。
ここまで生き延びることができたのも皆さまのおかげです。
平伏してお礼申し上げます。
神と仏にも感謝。
アーメン。
般若波羅蜜多。

気が付くとテレビで活躍してる新人アイドルとかモデルは私と同い年か年下の子が増えてきた。
新聞では若手起業家や将来有望なスポーツ少年が連日のように取り上げられている。
これらの人を少し前までは年上のおにーさんとおねーさんという風に認識していたが、今ではわたしがおにーさんである。
少し前の時代だったら結婚しているのが当たり前の年齢になったから、おにーさんとしての実感が湧いてくるのかと思いきや、そんなのは兆しすら感じられない。
このことについて内田樹先生なら「おにーさんの役目を果たすことでおにーさんになるのである。おにーさんになってから役目を果たすのではない」とおっしゃるのだろう。
サルトルも同じことを言っていたし。

しかし、どうも最近そういうことをよく考えるようになった。
特に、小津安二郎の『秋刀魚の味』をこの前観たとき「そろそろ結婚とかを考えなくてはいけないのだろうか」と感じながら鑑賞していたのが自分のことながら印象深かった思い出として記憶している。
秋刀魚の味』は年ごろの娘を結婚させるために父があれこれと奔走する物語である。
この娘の年齢は二十三歳だった気がする。
相手の男も娘と同い年くらいだった。
鑑賞時のわたしと同じ年齢である。
しみじみ。

似た印象の思い出として、少し前にわたしの高校の知り合い会ったときの出来事も挙げられる。
飲み会で集まったとき、その知り合いがお子さんを連れてきたのだ。
子供を授かっていたことにも驚いたが、すっかり大人の風格を備えていて「子供を持つと、ほう、ここまで人は変わるものなのか」と、その人の成熟ぶりに感嘆した。
これこそ内田先生が説く「大人」の姿なので、「なるほど」とわたしは深い感動を覚えたのである。
子育て頑張ってください。

内田樹先生と平川克美先生は最近古希を迎えたそうである。
ラジオデイズで配信されているお二人の雑談音声「たぶん月刊『はなし半分』」でしみじみと七十歳になった実感についてお話されていた。
ふんふん、と愉快に聞いていると、お二人が同窓会に参加したときの話になり「七十歳になっても自己承認欲求は消えない」という話になった。
その話は以下のように続いた。

・仕事をやめると自己承認欲求が強くなる
・認めてほしいと思う相手は世間より身内に偏るようになる
・自慢話が多くなる

そうなのか。
カシワギは承認欲求がまだまだ強い若輩者だけど、年を重ねて成熟すればそのような尻の青い欲望に駆られることは減ってくるのだろうと思っていたが、そう簡単な話ではないようである。
そんなの当たり前じゃん、と言われればそうなのかもしれないのだけれど。

はてはて、ではいったいどうしたらよいのだろうか。
こういうときに内田先生の本を開くとよいことがある。
道に悩んだ修道士が聖書を開いて箴言からヒントを得るように、カシワギは内田先生の本を開いてヒントを得るということをしばらく繰り返してきたのである。
「そのうちなんとかなるだろう」と書いてあった。
さすが内田先生である。