電車で三途の川を渡りかけた夢

一時期、わたしは寝る前にYouTubeにアップされているラジオを聴くのを習慣にしていた。
どうしてそれを始めたのかというと、寝る前にあれこれとネガティブなことを考えて落ちこむことが多かったので、気を紛らわすために聴いていたのだ。
だから、ラジオ番組は穏やかな気分になれるものをチョイスする。
中でもお気に入りだったのは美輪さんのラジオで、声は落ち着くトーンをしているし、ありがたい話も聴けて、睡眠導入には最適だった。
だが、あの日に聴いた美輪さんの話は夜に聴いてはいけないものだった。

「今日もありがたい話を聞いて、いい気分で寝るぞ」と全身をリラックスさせた無防備な状態のわたしに届けられたのは「悪霊」の話。
これがえらい怖くて、眠るどころか目がパッキーンと見開いて、脳が完全に覚醒してしまった。
途中で聴くのを止めればよかったのかもしれないけど、怪談話としてはとても面白かったので、そのまま聴き続けてしまったのだ。


夜も更けて0時を回り、冷蔵庫の「ブウウ――ン……」(@ドグラ・マグラ)という音が鮮明に聞こえるほど感覚が鋭敏になったわたしは、部屋の隅っこの影に怯えながら天井を見つめていた。
いくら時間が経っても眠気は露ほども生じず、いっそのこと布団から出て部屋の灯りを点けようかとも思ったが、床に足を着けた瞬間、ベッドの下に潜む「何か」が足を掴んでくるかもしれないと恐れていたので、けっきょく何もせず、ジッとそのまま横になっていた。

すっかり八方塞がりな状況であるが、わたしにはひとつ希望があった。
「こんな状況であってもなんだかんだいつかは寝ている」という経験である。そういう考えもあって、ジッとしていたのだ。
一分を五分のように感じ、首元をこする毛布の痒さに耐えながら「いつかは寝ている、いつかは寝ている……」と頭の中で繰り返し唱えていた。
体感的には四十分ほど経ったあたりで、頭の中で映像が勝手に流れ始め、だんだんと夢うつつの状態になり「これでようやく眠れる」とほっと一息ついた。

しかしその瞬間、突然わたしにとある確信が訪れた。
いまだから回想できるが、訪れた確信とは「金縛りになる」というものだった。
そのときは言葉にする間もなく、パチっと弾けたような感覚が合図となって金縛りにあい、胸がキュウと締め付けられて呼吸ができず、そして、血が凍っていくような恐怖が襲ってきた。
寝起きビンタドッキリのような不意打ちである。
わたしは金縛りにあった経験が数回しかなく、おまけにどれも心霊的な恐怖体験を伴っていたので、それは夢に過ぎないと決めつけてはいるものの、怖いものはやはり怖い。

このときに感じていた恐怖がどれくらい大きなものだったのかを言葉にするのは難しい。
たぶん大抵の人がそうだと思うのだが、感情が喜怒哀楽のどれか一色で染まることはそうそうない。
激怒しているときでも心の片隅では「お腹が空いたな」「早く帰りたいな」とか、笑っているときでも「自分の笑い方って変だな」「こんなに笑ったの久々だな」とか、あまり関係ないことをほんの少しだけ考えていたりする。
でも、このときのわたしの心は恐怖の一色だけで染まっていた。ある意味、貴重な体験であった。

一難去ってまた一難。またしても八方塞がりの状況になってしまったわけだが、今度は何をすればよいのだろうか。
まあこれも結局「なんだかんだいつかは寝ている」である。
実際、いつの間にか気を失ったように眠りについていた。


ようやく前段が終わって本題の夢の話に入れる。
どうしてここを語らなければならないのかというと、三輪さんの悪霊の話と金縛りにあったという前段がなければ、「電車で三途の川を渡りかけた夢」などと考えず、ただの夢として忘れていたと思うからだ。


夢は現実世界と寸分違わない日常的なルーティンから始まった。
自分のベッドで目を覚まし、平日だから会社に行く身支度をせっせと済ませて家から出る。
わたしの体はカフカの『変身』のように虫になっていないし、窓から差し込む日光の角度はいつもと同じだし、ペットの三毛猫の模様は相変わらずへんちくりんだ。
これ以上ないほどに日常的である。
しかし、外の風景だけは非日常的だった。
街が海に沈んでいたのだ。
家の屋根に設置されたアンテナや電柱の先端だけが海面から突き出ていて、それ以外のものは全て沈んでおり、遠くには水平線。
大海原を眺めているかのようだった。
わたしは「ずいぶんスッキリとして綺麗だな」と思い、しばらくこの風景を眺めていたかったが、遅刻ギリギリだったので駆け足で駅に向かった。

街が海に沈んでるのにどうやって駅までたどり着いたのかはわからないし、どうして駅だけが無事なのかも疑問だが、ともかく電車に乗ることができたので遅刻はせずに済みそうだった。
車内は通勤時間とは思えないほど閑散としており、乗客はチラホラといるものの、空席が目立つ田舎の電車のようであった。
電車が発車し、窓の外を眺める。
「もしかして、海に沈んでいるのは自宅周辺だけで、この先はいつも通りなのかもしれない」
そう考えた。
が、様子はさっきまでと何も変わらず、やはり街は海に沈んでいた。
世界が海に沈んでしまったのだ。
さっきは電車に間に合わせるために横目でしか風景を見ていなかったので、改めてじっくりと眺めた。
「これはこれで悪くない。ユートピアといっても過言ではない」と思った。
こんな景色はなかなか見られないので、わたしはスマートフォンを取り出しパシャパシャと撮影した。
夢中になっている間に次の駅に停車。急行電車に乗り換えた。

次のシーンが夢のクライマックスである。
急行電車がゆっくりと動き出し「さて、この先はどんな風景が見られるのか」と楽しみにしていると、なんと逆方向に走り出した。
つまり、会社の方ではなく、自宅の方に戻ってしまったのだ。
「これでは遅刻してしまう」と狼狽えて強い焦りを感じた瞬間に目が覚めて、夢が終わった。


これが「電車で三途の川を渡りかけた夢」の全容である。
とても聞き覚えのある物語の構造であったと思う。
交通事故などで重体となって、気を失っているあいだに「川の向こう側におじいちゃんがいる夢を見た」という話と同じだ。
そして、「こっちに来てはいけない」と帰されたり、あるいは「こっちにおいで」と誘われたりする。
向こう側は死の世界である。

もし、わたしが乗った電車が逆方向に走り出すことなく、そのまま会社のほうへ行ってしまったら、いったいどうなっていたのだろうか。
とうぜん検証する術などなく、ただの夢でしかないのは重々承知している。
ただ、先述したとおり、美輪さんの悪霊の話と金縛りにあったという前段があると、「ただの夢として話を済ませてしまってよいのだろうか」という感覚になってしまうのもご理解いただきたい。
だって、美輪さんだし。

以下は余談だが、夢の始まりが「自分のベッドで迎える平日の朝」なんてものだったから、目覚めたときに「あれ、電車に乗らなかったっけ」と混乱し、夢の中で撮影した写真がスマートフォンの中に残っているのではないかと、思わずチェックしてしまった(残ってなかった)。
それくらいにはリアリティのある夢であった。