PayPayは募金活動に悪影響?

最近流行の「PayPay」や「LINE Pay」といった電子決済サービスはその性質上、現金と比べて寄付活動が沈滞すると気がついた。
電子決済サービスはおつりが出ないからだ。
だから、コンビニやファストフード店のレジに置いてある募金箱におつりを投入するという現金ならできることが「PayPay」などでは構造的にできない。
わたしの記憶してる限り、募金箱に貼られた「皆様のご支援により〇〇円集まりました」と書かれたシールにはいつも数百万から数千万円くらいの金額が表されていた。
恐らくおつりを寄付する人の大半は「小銭を財布にしまうのめんどくせえ」という気持ちで数円とか数十円くらいを寄付をしていると思うが、まさに「塵も積もれば山となる」で、それくらいの大金がめんどくさがるだけで集まるなら、その不精さもバカにできるものではない。むしろ、どんどんめんどくさがって五百円とか千円くらい寄付してくれた方が世のためになる。
でも、電子決済サービスはめんどくさがることができない。

他方の募金活動においても現時点では悪影響があるのではないだろうか。
道端で募金活動をしている人は多くいるが、わたしが見てきた中ではすべて現金による寄付しかできない。
たしかスウェーデンでは電子マネーが進んでいるので、教会への寄付も電子決済ができるようになっていたが、現在の日本でそこまで対応できているところは少ないだろう。
もし、電子決済および電子マネーの普及を進めていくのであれば、それにあわせて募金活動の仕組みも変えていかねばならない。
しかし、それにはどれくらいの投資が必要なのだろうか(それにかかるお金を寄付したほうが効果的ではないのか)。
一概に電子決済サービスを批判するわけではないが、こういう懸念が生じるのではないかと、ふと思ったのである。

話は少し変わるが上記のことと関連して、内田樹先生のブログのとある記事を思い出した。
同志社大学客員教授のハサン中田考先生という方との対談の文字起こし記事で、中田先生はハサンという名前から察せられる通りイスラーム教徒である(中田先生の本は面白いのでオススメ)。
この対談内容を要約すると「貨幣は金貨でなければならない。なぜなら金貨はある閾値に達すると物理的に空間を圧迫して邪魔になるし、盗まれるかもしれないという不安も生じるので消費をするようになる。そして、それが通貨の流動性を担保する」というものである。
以下、記事からの引用。

中田(前略)金というのは(中略)あまりたくさん持っていても仕方ないわけです。むしろ邪魔なのです。しかも盗まれますから。邪魔ですから使ってしまおうと思う、ところがデジタルのお金っていうのはいくら持っていても邪魔にならないわけですね。しかも楽しいわけです。何兆円とかそういうふうになってしまうわけです。(後略)」

内田「(前略)個人が持ちうる財産には上限があって、それを超えてまで所有してもしかたがないといういうのは、極めて優れたアイディアですよ。兌換(だかん)紙幣というときまでは、『金だと持って歩くのが邪魔だ』という身体感覚がまだリアルに残っていたから、紙幣に代えたんでしょうけど(中略)。電磁パルスとしての財産はいくらあっても邪魔にならないわけですよね。結局、お金がいくらあっても邪魔にならないという仕組みが完成したことで貧富格差が拡大することになった金本位制度に戻そうと言うと何を馬鹿なことをと思う人が多いのでしょうけど、僕はこっちの方が直感的に正しいような気がします。」
(下線はカシワギ)

blog.tatsuru.com


慧眼である。
畢竟するところ記事の前半でわたしが書いたのは、物理的に存在する通貨とデジタル上に存在する通貨でわたしたちの生活にどれくらいの影響があるのかということだが、お二人の話はより本質的でとても面白い。